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   ジェニファー・ジョーンズという女優はあの輝かしい経歴を持つ男が、彼女の生活に大きな力を
  及ぼすようになるまで、個人的には不幸な、職業的にも平凡な女性でしかなかった。
  ジェニファーにとって、愛こそが偉大なる力の源泉だった。自己の犠牲で献身をしいる愛情が、
  彼女の心に希望の炎を燃やし、平凡な女性に鋭い感受性を与えた。
   この男こそ彼女の夫デヴィッドO・セルズニック、その人である。
  今から13年前、彼女が「聖処女」でアカデミー賞を獲得したときから、ファン雑誌に対するあの愛想のいい
  態度が一変した。記者たちはこれを彼女の思い上がりと解釈した。
  ”偉大なる女優は宣伝を必要としない”ジェニファーはこう考えたのだというのである。
  モンゴメリー・クリフト、マーロン・ブランド、そしてジェームス・ディーンなどのように、
  ジェニファーもまた、今後勝手な道を歩むのだろうと想像された。
   だがハリウッドの異端児達は、映画の役の上でははなはだラッキーだった。少なくともジェニファーよりは・・・。
  しかし、ジェニファーには彼等にはない幸運・・セルズニックと会ったという幸運があった。
  この幸運を掴むまでの話は、ファン雑誌の数々の記事により、また彼女自身の口から語られている。
   だが、彼女が語り、そして人々が知っている話は、最初の夫、故ロバート・ウォーカーとのロマンス、
  そして離婚が中心である。この二人が知り合ったのは、アメリカン・アカデミー・オブ・アーツである。
   旅廻りの芸人の娘として生まれた彼女がラジオの演劇コンテストに優勝、舞台への情熱を燃やしてここに入ったのは
  十九才の時である。芝居で恋人同士を演じた二人が、やがて愛し合うようになったのも、運命だったかもしれない。
   小都市のラジオ・アナウンサーをしながら、俳優への道を歩まんとしていたボブ(ロバート・ウォーカー)。
  内向的な彼に比べ、衝動的なジェニファーであったが、こうした性格の相違が、最初の間はかえって二人の心を結びづけた
  のであろう。一年間の交際、そして結婚したふたりではあったが、貧しいボブは学費が続かなかった。
  ボブは涙をのんで学校を中退した。帰るところとてないボブ。彼はロング・アイランドのアナウンサーとして、再び
  ラジオ畠へ戻った。ジェニファーも夫と行動を共にして、学校を中退した。
   だが結婚・・・そして女としての宿命ともいえる母への道が、ジェニファーを待っていた。
  しかし彼女の心は常に演劇に向けられていた。ロング・アイランドでの、平穏ではあったが平凡な生活がしばらく続いた。
  この生活を破ったものは、ハリウッドだった。
  映画のスカウトマンからのテストの申し込みが舞い込んだのである。
  テスト・・・即ちスターと考えたところに、二人の甘さと若さがあった。全財産といっても貧しいアパート住まいの二人に、
  たいした家財道具があるわけではない。自動車を買い込み、懐中一文無しの二人は、一路ハリウッドへ・・・。
  だが二人にとって、ハリウッドは幻滅以外の何物でもなかった。ボブは三流映画に、ジェニファーがありついた役は、
  西部劇の端役でしかなかった。絶望・・・それは役の面だけではない。経済的にもどん底の生活が続く。二人は荷物をまとめ、
  車を売ってニューヨークへ逃げるように去って行った。この頃、ジェニファーはすでに二児、ロバートとマイケルの母だった。
  
  洗い髪がもたらした幸運
  ニューヨークから再びロング・アイランドへ。ボブはまたまたラジオ・アナウンサーとなった。
  夢破れた彼の暗い日々、この暗雲をはらう朗報が、やがて彼女のもとへとどいた。ジェニファーのエイジェントからの
  報せでは、制作者として名高いセルズニックが、大作「クローディア」の主演女優を探しているという。
  彼女はエイジェントを通して、テストを申し込んだ。
   幸運は続けて来るものだろうか?ボブもまたラジオの仕事が認められ、ハリウッド入りの機会に恵まれた。
  二人は”今度こそ ”とハリウッドへのりこんで行った。アパートの一室で、テストの日を待つジェニファー。
  待つ身は辛いが、一日、二日と何の連絡もなしに過ぎて行く。ジェニファーがなかばあきらめかけた頃、電話のベルが
  けたたましく鳴った。エイジェントからである。”今すぐ来るように、セルズニックが会う約束をした”だが間の悪い事に、
  彼女は髪を洗った直後である。セットする時間はない。彼女はバサバサの髪のまま、セルズニックの許へ出かけた。
  半ばあきらめから来る投げやりな気持ちで・・・。
   だが、この髪が彼女に幸運をもたらしたのである。ハリウッド女優の型からはおよそはずれたジェニファー、
  そこにセルズニックは新しい女優の型を見出したのである。テストは上出来とはいえない。自分の出来のまずさを悟り、
  絶望するジェニファーと、慧眼セルズニックは長期契約を結んだのである。契約はなんとセルズニック個人とのものだった。
   それから一年、偉大なるセルズニックのジェニファー売り出しの努力が行われた。一九四二年、セルズニックは、彼女の
  芸名、即ち、ジェニファー・ジョーンズという名を自らつけ、大作「聖処女」に出演させたのである。
   ジェニファーの名は、急ピッチで全米映画館のネオンに彩られるようになって行った。夫ロバート・ウォーカーの名は、
  妻の輝かしい成功の前に色あせて見えるのは、生存競争の無情さとはいいながら、ボブにとっては耐えられない事でもあった。
  しかも、年月は二人の間にいろいろな事をもたらした。初めは二人を結び付けた性格の相違が、
  かえって二人の間に溝を作りはじめたのである。
   こうしたすきま風が吹きはじめる一方、ジェニファーはセルズニックへの感謝と尊敬の念は、いつしか愛情へと変わって行った。
  「セルズニックのような人を、人生の助言者に持つ事、これが若い俳優にとっては一番幸福なことです」
  こう彼女は誰にも語った。だが、ジェニファーは慎み深い女性である。夫ある身で、しかもハリウッドの大御所ルイスB・メイヤーの
  娘を妻とする、セルズニックに愛を感じる・・・などということは彼女にとっては考えるだけで恐ろしい事だった。
  
  ハリウッド最大の貴婦人
  慎み深い性格は、あの輝かしい一九四三年のアカデミー賞授賞式のときも、現れている。主演女優候補としてノミネートされている
  彼女は、授賞式の当日まで「バーグマンさんが・・・」と信じていたのである。
   授賞式の夜、彼女を連れ出したセルズニックのチーフ・アシスタント、ヘンリー・ウィルソンが、車の中で”主演女優賞を
  与えられた時の挨拶をかんがえているか”と尋ねた時、彼女は首を横に振り、そんな心配はないからといって聞かなかったのである。
  勿論、女優賞はジェニファーの頭上に輝いた。式の後、セルズニックはモキャンボで盛大なパーティーを開いた。
  「私は、ハリウッドの最大の貴婦人を御紹介します。」
   こう言うセルズニックに眼は、ジェニファーへの愛情に輝いていた。この栄光は彼女をセルズニックへ傾ける一方、夫ロバートとの
  仲を決定的なものとした。
  「私は改良と発展を望んでいます。私は全身を仕事に打ち込んでいます。仕事の上でも個人としても、私は成長したいのです」
   こう語ったのを最後として 、ジェニファーは口をつぐんだ。沈黙、そしてまた沈黙、記者たちはこれを”思い上がり”と解釈した。
  だが、彼女が口を閉ざしたのは、愛の悩みであり、妻として、母として、夫以外の男性を愛した悩みだったのである。
  ロバート・ウォーカーとの別居、そして二人が共演した映画「君去りし後」も、かえって題名通り、二人の結婚生活を破局に
  導き、ボブは彼女のもとを去った。
  
  沈黙の意味するもの
  ジェニファーと分かれ、酒に酔うボブ。その姿が評判となるにつれ、ジェニファーの口はますます固く閉ざされて行った。
  だが別れた二人の間には敵意はなく、二人はしばしば会い、子供のことを話し合った。一九四五年、二人は正式に離婚した。
   だが、女優と男優の離婚、これはハリウッドではさしてニュース価値のあることではない。
  しかしもしここにセルズニックとの噂が入れば、これは大きなニュースである。そればかりか氏族関係が今なお強く支配する
  ハリウッドでは、ルイスB・メイヤーの娘を妻に持ちながら、セルズニックが恋をしたとなれば、たとえ偉大な製作者といえ、
  その身は安全ではない。
  今にして思えば、ジェニファーの沈黙は愛するセルズニックの身の危険を思っての事だったともいえよう。
  楽しかるべき恋もジェニファーにとっては、あまりに苦しい事が付随していた。別れた夫ボブの飲酒はひどくなるばかり、
  しかも彼には精神錯乱の傾向さえ見え始めた。精神科の医者にかかったボブ。そうした噂はジェニファーの心を暗くした。
   だが運命の破局は訪れて来た。精神的苦痛からか、酒毒のためか、ボブは或る夜医者を呼んだ。いつものナトリウムを
  基にした薬が注射された。この注射こそ、運命の注射だった。ボブが数時間前に飲んだ鎮静剤、怪しげなその薬が、この
  注射とあわなかったのだろうか?ボブは注射の直後から危篤状態におちいった。ロバート・ウォーカー危篤の報は、
  別れて暮らすジェニファーの許へも届いた。驚いてかけつけた彼女へボブは息絶え絶えにつぶやいた。
   愛するものよ、さようなら・・・と。
   衝撃から憂鬱な日々が続いた。このジェニファーを見て、セルズニックは彼女を伴って欧州へ旅立った。
  「風と共に去りぬ」の製作者として、ヴィヴィアン・リーを売り出し、バーグマン、ジョーン・フォンテインなど、多くの
  スターを売り出したセルズニック。
   だが、ジェニファーだけは違っていた。自分が生み出したスター以上の存在だった。欧州へ旅立つ直前、セルズニックは
  一八年におよぶ結婚生活を解消した。二人はイタリアでささやかな結婚式をあげた。ハリウッドのゴシップ屋は、この結婚に
  ”あっ”と言って驚いた。欧州各地の新婚旅行・・・それはジェニファーにとって夢のような日々だった。
   新婚の夢、いまださめやらぬジェニファーは、ハリウッドへ帰るや、夫セルズニックの許で大作に出演していった。
  名製作者セルズニックの選ぶ映画に駄作があろうはずがない。
  「女狐」「黄昏」「終着駅」とい彼女の名はますます有名になって行った。
   この成功の影には、セルズニックの力があったのはもちろんである。偉大なる製作者として自他共に許す彼が、あたかも
  ジェニファー・ジョーンズの、マネージャーの如く、ただひたすら彼女の為に、彼女の出演作品を決める事に、全情熱を
  捧げたのは、愛情以外の何者でもなかったろう。
  近作「美わしき思い出」の撮影中、この偉大なる製作者が、常に彼女をセットまで連れてきていたのである。
   ひねくれ者はいう。「ジェニファーに苦しい沈黙を守らせ、自分の身の安泰のみを考えたセルズニック」。
   しかし、女優がゴシップで有名になる場合も多いが、その逆もある。特にセルズニックの妻がハリウッドの大御所、
  ルイスB・メイヤーの娘であるということを思うと、この妻を持つ彼とのゴシップは、むしろ女優としては命取りとなりかねない。
  ハリウッドという、近代的に見えて封建的な絆の強い世界では、特にそうである。自分が正式に離婚し、彼女と結婚するまで
  ジェニファーに沈黙を守らせたことこそ、セルズニックのジェニファーへの愛情の現れといえないだろうか・・・。