ハリウッド製にしては異例の女優、
演技力を持つスター・ジェニファー・ジョーンズ

清水千代太
「スクリーン」1952年11月号より(一部分)


ハリウッドが空想部落として盛大になるにつれ、ハリウッドのスターたちはアメリカ人大衆から隔絶した空想人類として
性格が鮮烈になった。こうしてハリウッドのスターの中から、その空想人類的パーソナリティーの優秀なスター、すなわち
グラマーガールを産んだ。リタ・ヘイワース、ヘディー・ラマー、近くはエリザベス・テイラーはグラマーガール中の
トップスターである。これらのグラマースターたちは、演技力の貧しさをおぎなうに充分な反射能力の所有者である。
「陽の当たる場所」のエリザベス・テイラーがこの場合である。その逆の場合、この人たちは持ち味のグラマー的魅力だけしか
発揮しない。「サムソンとデリラ」のヘディー・ラマー、「カルメン」のリタ・ヘイワース、「ショウ・ボート」のエヴァ・
ガードナーがそれである。
 しかし、グラマーガールズにも演技力を持っている人もある。ジェニファー・ジョーンズはその一人である。
フィリス・アイズリーの名で、リパブリックの西部劇に出演していた頃のジェニファーは、もちろんグラマーガールとは
縁遠い存在だったが、「聖処女」のベルナデットの役を与えられ、今の芸名を名乗るようになった時から、池中のヤゴが飛び立って
トンボのなったように変貌した。
 あるいはジェニファー自身はグラマーなんてとんでもないと言うであろう。だいたい演技に大きな自信を持つようになると、
ハリウッドのスターたちはグラマーと呼ばれるのを迷惑がるようだが、現在のジェニファーが、グラマー的魅力を持っている
ことは否まれない。
 ジェニファー・ジョーンズは、演技に自信を持つと共に、その全身からグラマー的魅力を発散し、それがスクリーンの彼女の
映像に見入る男達をとらえる事も、充分に知っているに相違ない。
「白昼の決闘」のパールを見ればうなずかれるだろう。インディアンとの混血児の火の様な烈しい性格は、演技力と言うよりも
確かにグラマー的魅力によって、鮮やかに彩られていた。もちろん生まれ落ちると巡業劇団に育ち、舞台に立って来たジェニファー
には、いわゆる芝居心はすっかり身についているであろう。その素地があっての上だから、グラマー風な魅力が輝きを増すのである。
 彼女を「聖処女」以上に有名にした「君去りし後」でも、似た様な事が言える。おたふく風邪を病む姉娘に扮して、思春期の
少女の清純な感傷を、ジェニファーは好ましく演じている。この場合は、逆にグラマー的魅力を素地としての巧みな演技である
と見たい。彼女がイギリスで主演した「女狐」では演技力とグラマー的魅力が、溶け合っていると言おうか、むしろ化学的に
化合したかのようである。ジプシーを母とする野生の少女ヘイズルは、小狐を愛する本能的な愛情と、「白昼の決闘」のパールと
似た心境の恋愛が、野生のままに育った自然児の赤裸裸の性格に、美しく浮彫されて、人類最初の女イヴを連想させる。しかし、
これにはイギリスのシロップシャーの自然の背景が、大きな寄与をしている。ハリウッド映画ではないから、「女狐」の
ジェニファー・ジョーンズは、アメリカ映画のスターとは言えないのかもしれないが。

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